요카나비 컨시어지(관광안내인)
ホークスを好きになってみませんか?
#5 「平和台球場 -その2- 」
齊藤 寛 2008.09.01

平和台球場入り口付近

現在の球場跡地(ほぼ同じ場所で撮影)
信じられないくらい強かった西鉄ライオンズも、
1963年の優勝を最後に衰退の道をたどっていくことになりました。
あの栄光はどこへやら、だんだん弱くなっていったライオンズは、
親会社の西日本鉄道が球団の譲渡を決め、とうとう野武士軍団「西鉄ライオンズ」は
この世の中から消えてなくなってしまいました。
当時小学校低学年だった私の記憶にはその出来事がなんとなく残っています。
ゴルフ場運営の会社である太平洋クラブがライオンズの名前を引き継ぎ誕生したのが
「太平洋クラブライオンズ」でした。
当時の野球少年だった私は毎日のように平和台球場に自転車で通い
(当時のファンクラブで小学生は外野席がタダだったんです)相変わらず弱かったライオンズを応援していました。
平和台名物の丸天うどんを片手に、観戦し、
食べてしまうと発泡スチロールの容器の底を破りメガホン代わりにして応援したものです。
いったいあのうどんはどこのお店のものだったのでしょうか?
どなたかご存知の方いらっしゃいますか?
ただ、西鉄福岡(天神)駅や姪浜駅にある「やりうどん」はなんか当時の味を思い出してくれます
ひたすら素朴でおいしいですよ。
平日の外野席は、いつも閑古鳥が鳴いていて、お客さんがほとんどいません。
友達とグローブ片手になんと外野席でキャッチボールをしていたのをよく覚えています。
外野観客席でキャッチボールをしているとボールがそれて外野グラウンドへ転がるんです。
そのたびに当時ライトを守っていた竹之内選手(後に阪神へ移籍)のもとへ転がり
「たけのうちさ~ん、とってくださ~い」するとボールを投げ返してくれながら「気をつけろよー」。
また、ライオンズ攻撃時、「阪急ブレーブス」の大熊選手がよくライトを守ってました。
当時最強に強かった阪急ブレーブスは小学生にとって、とてもとても憎くて大熊選手はぼくらの目の敵にされました。
「このやろう おおくま~ 今度こそボールばおとせよ~」と怖さ知らずの子供達は、大きな声で野次をとばすんですね。
すると幾度となく大熊選手は観客がほとんどいない外野席の僕らの方に向かって「じろっと」にらみ返します。
こどものくせに、なんだこいつらと思われたんでしょうね。
大熊選手、すみませんでした。
底抜けにのどかだった平和台球場。
福岡の野球を見守ってくれた平和台球場。
しかしその平和台球場、そして福岡全域に激震が走ったのはその後まもなくでした。
1963年の優勝を最後に衰退の道をたどっていくことになりました。
あの栄光はどこへやら、だんだん弱くなっていったライオンズは、
親会社の西日本鉄道が球団の譲渡を決め、とうとう野武士軍団「西鉄ライオンズ」は
この世の中から消えてなくなってしまいました。
当時小学校低学年だった私の記憶にはその出来事がなんとなく残っています。
ゴルフ場運営の会社である太平洋クラブがライオンズの名前を引き継ぎ誕生したのが
「太平洋クラブライオンズ」でした。
当時の野球少年だった私は毎日のように平和台球場に自転車で通い
(当時のファンクラブで小学生は外野席がタダだったんです)相変わらず弱かったライオンズを応援していました。
平和台名物の丸天うどんを片手に、観戦し、
食べてしまうと発泡スチロールの容器の底を破りメガホン代わりにして応援したものです。
いったいあのうどんはどこのお店のものだったのでしょうか?
どなたかご存知の方いらっしゃいますか?
ただ、西鉄福岡(天神)駅や姪浜駅にある「やりうどん」はなんか当時の味を思い出してくれます
ひたすら素朴でおいしいですよ。
平日の外野席は、いつも閑古鳥が鳴いていて、お客さんがほとんどいません。
友達とグローブ片手になんと外野席でキャッチボールをしていたのをよく覚えています。
外野観客席でキャッチボールをしているとボールがそれて外野グラウンドへ転がるんです。
そのたびに当時ライトを守っていた竹之内選手(後に阪神へ移籍)のもとへ転がり
「たけのうちさ~ん、とってくださ~い」するとボールを投げ返してくれながら「気をつけろよー」。
また、ライオンズ攻撃時、「阪急ブレーブス」の大熊選手がよくライトを守ってました。
当時最強に強かった阪急ブレーブスは小学生にとって、とてもとても憎くて大熊選手はぼくらの目の敵にされました。
「このやろう おおくま~ 今度こそボールばおとせよ~」と怖さ知らずの子供達は、大きな声で野次をとばすんですね。
すると幾度となく大熊選手は観客がほとんどいない外野席の僕らの方に向かって「じろっと」にらみ返します。
こどものくせに、なんだこいつらと思われたんでしょうね。
大熊選手、すみませんでした。
底抜けにのどかだった平和台球場。
福岡の野球を見守ってくれた平和台球場。
しかしその平和台球場、そして福岡全域に激震が走ったのはその後まもなくでした。

