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検索結果 [1-20/25件]

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  • 草場古墳群
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    福岡市西区大字下山門1709

    6世紀から7世紀にかけての古墳時代後期に造られた、方墳1基、円墳10基からなる古墳群。このうち昭和48年に発掘調査された1〜4号墳が市指定史跡として保存されている。円墳のなかで最も形をとどめている3号墳は径約14mで、内部主体は長さ4.5mの横穴式石室。石室内から須恵器の他に武器の鉄刀、鉄鏃、装身具の切子玉、金...
  • 那珂八幡古墳
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    福岡市博多区那珂1丁目44

    墳長75m以上、高さ8mの前方後円墳で、福岡市の指定史跡。古墳時代初期に築かれたものとされている。墳丘は地山整形と盛土からなり、周囲には鍵穴形に周溝がめぐらされている。内部主体は後円部の中央に2基あり、第1主体は未調査、第2主体は長さ2.3mの割竹形木棺の直葬で、三角縁神獣鏡と玉類が出土した。福岡平野の首...
  • 比恵遺跡群
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    福岡市博多区博多駅南4丁目

    弥生時代から室町時代いたる複合遺跡。米作りが始まった弥生時代前期に人が定着したと考えられている。甕棺墓地、墳丘墓が営まれ、後期には環溝集落も出現。古墳時代後期には、大型の掘立柱建物群や高床式倉庫群が造営され、建物の規模や配置から、『日本書紀』記載の那津官家に関わりがあるとして注目されている。「比...
  • 夫婦塚古墳
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    福岡市西区金武1668

    『筑前国続風土記付録』に「(金武村)乙石の北二丁斗に石窟二あり、共に口は南にむかへり」と記された2 基の古墳。市指定史跡で、墳丘北側に説明板が建っている。墳丘をとどめる2号墳は径30m、高さ4.5mの円墳で、全長11.5mの複室の横穴式石室が、南側に向かい開口している。玄室は各面を1石ずつの巨石で組み上げたも...
  • 元岡瓜尾貝塚
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    福岡市西区元岡字池の浦

    県指定史跡。旧今津湾に面する丘陵斜面に形成された縄文時代後期の貝塚で、現在は溜池の土手面にわたって貝層が露出している。貝種は現在も今津湾に生息するものが多く、ウミハナ、ハイガイ、マガキなどがある。遺物には縄文後期の土器(北久根山式、西平式、三万田式)、石器(刃器、石鏃)、人骨、獣骨(鹿、イノシシ...
  • 山の鼻1号古墳
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    福岡市西区徳永山ノハナ

    若八幡宮古墳の東北、今宿バイパスを隔てた丘陵上に造築された前方後円墳。調査により、墳長44m、後円部三段、前方部二段築成に改変されたことがわかった。後円部の内部主体は竪穴式石室の可能性が高く、獣帯鏡片や土師器が出土している。築造は4世紀前半代と考えられ、今宿平野の首長墓の系譜で最古に位置づけられてい...
  • 若八幡宮古墳
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    福岡市西区徳永下引地280-2

    若八幡宮神社内にある前方後円墳。福岡市指定の史跡で、4世紀後半の築造と考えられている。墳長47m、後円部三段、前方部二段の築成で、墳丘には葺石を施し、埋葬主体部は長さ2.75m、幅1.2mの舟形木棺で、後円部中心に掘られた径13m前後の円形墓壙の中に古墳長軸と直交して埋置。棺内外には三角縁神獣鏡、玉類、鉄製...
  • 櫛田神社蒙古碇石
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    福岡市博多区上川端町1-41(櫛田神社)

    蒙古の軍船が碇として使用したとされる石。碇石2点が櫛田神社の山門南、銀杏根元にある。南側の1点は花崗岩製で、長さ226cm、推定重量230kg。御供所町の地下16尺から出土したといわれている。東側の1点は砂岩製で、長さ252.5cm、推定重量350kg。出土地は不明。県指定文化財。
  • 筥崎宮境内蒙古碇石
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    福岡市東区箱崎1-22-1(筥崎宮)

    蒙古船の碇として使用された碇石。全長222cm、推定重量250kgの凝灰質砂岩製で、中央部が最も広く、両端がやや狭くなり、表面に粗い加工痕がある。昭和15年、博多港中央埠頭北東100mの水深5.5mで発見され、これを含め9点が「蒙古碇石」として県指定文化財(考古資料)に指定されている。
  • 飯盛神社
  • 092-811-1329
    福岡市西区飯盛609

    旧早良郡7ヵ村の惣社で、祭神は品陀和気命・伊弉冉尊・玉依毘賣命を祀っている。かつては上宮・中宮・下宮があり、飯盛山全体が神域だった。上宮跡の山頂は永久2年(1144)の瓦経の出土地で、鎌倉時代には300有余町の社領を領し、南北朝時代にはそれぞれの拠点となり飯盛山合戦が行なわれた。本殿(市指定文化財)は慶安...
  • 恵光院
  • 福岡市東区馬出5-36-35

    千利休が豊臣秀吉を招いて茶会を開いたという寺院。筥崎宮の社坊である座主坊の末寺で、福岡藩二代藩主・黒田忠之の開基により寛永年間(1624~1644)に建立された。明治初期の廃仏毀釈の際、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品を恵光院に移して守った。これらの遺品の内、木造釈迦如来坐像(市指定文化財)は高さ94...
  • 志賀海神社
  • 092-603-6501
    福岡市東区志賀島877

    祭神は海洋の神である、底津綿津見神・仲津綿津見神・表津綿津見神。この地は海人を統率した古代の有力氏族・阿曇氏発祥の地。神社内の万葉歌碑にも詠まれたように、古来より海上の守護神として崇拝されてきた。神社には国指定重要文化財の朝鮮製鍍金鐘、県指定文化財の細形銅剣鋳型を所蔵し、境内には石造宝篋印塔がある...
  • 勝軍地蔵堂
  • 福岡市東区箱崎6-7-13

    元寇防塁の南約400m、道路とJR鹿児島本線の間にある地蔵堂。寛永8年(1631)に福岡藩二代藩主・黒田忠之が建立し、明治42年(1909)に九州大学工学部が建設される際、この地に移転した。この堂に鎮座する石造地蔵菩薩坐像は、小松(平)重盛が育王山(中国浙江省の山で巡礼地)に砂金を送り、その帰船にこの菩薩像を乗...
  • 浄満寺(亀井南冥・昭陽の墓)
  • 福岡市中央区地行2-3-3

    寛保3年(1743)、医家の子として生まれた亀井南冥は、上方に遊学し、医学を山脇東洋の高弟・永富嘯庵に学んで帰国。21歳で朝鮮通信使と詩文の応接をなし、世間の人々を驚かせた。天明4年(1784)、藩校甘棠館の創設に伴い館長に迎えられて多く人材を育成し、志賀島から金印が出土したこの年に、『金印弁』を著してその保...
  • 崇福寺
  • 福岡市博多区千代4-7-79

    臨済宗大徳寺派で、山号は横岳山。仁治元年(1240)、湛慧が大宰府横岳に創建した。翌年、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)が招かれ、開堂説法を行なった。文永9年(1272)に大応国師(南浦紹明)が入寺し開山。その後多くの高僧を輩出し、慶長5年(1600)、初代福岡藩主・黒田長政により現在地に移転され、黒田家の...
  • 大日堂
  • 福岡市早良区脇山1678

    旧早良郡脇山村池田にある大日堂は、背振山東門寺の別院跡に、大村兵庫助、多々良興景という士によって天文年間(1532~1555)に建立された。貝原益軒の『筑前国続風土記』以来、近世の地誌類にも紹介されている。この堂に安置されている本尊の木造大日如来座像は、高さ130.5cm、檜材の寄木造りで、前面漆箔を施し、背面...
  • 旦過だるま堂
  • 福岡市西区姪の浜6-13-7

    旦過だるま堂は達磨大師を本尊とする仏堂で、文永年間(1264~1274)の創立。市指定文化財である銅造塔婆型厨子(どうぞうとうばがたずし)は、元禄15年(1702)に姪浜の石橋紹善が五穀豊穣と家内繁栄を祈って住吉神社に奉納したもの。その後、明治の神仏分離によって、現在地に移されたものと考えられている。高さ119cm...
  • 東光院跡
  • 福岡市博多区吉塚3-20-37

    東光院は大同元年(806)に、最澄(伝教大師)により開山された寺院。本尊である薬師如来立像のほか、重要文化財として指定された仏像25体と、県指定文化財の絵画15点が所蔵されていた。これらの文化財と共に境内地が福岡市に寄贈されたので、保存・活用を図るため、寺そのものを市の史跡として指定。現在、寄贈された文...
  • 平尾山荘
  • 福岡市中央区平尾5-2-23

    平尾山荘は、郷土出身の幕末の女流歌人として、また勤王家の一人として異彩を放つ野村望東尼(1806~1867)の閑居地。当時の草庵が復元された、建物内が見学できる市指定の史跡となっている。望東尼は54歳の時に夫を失い剃髪するが、この頃から尊王の志に燃えて高杉晋作ら尊皇の士を山荘に庇護するようになった。慶応元...
  • 飯盛神社のかゆ占
  • 092-811-1329
    【飯盛神社】福岡市西区飯盛609

    米1升に小豆と塩を加えて約4〜5時間かけて炊いた粥を、小正月(旧暦の1月15日)に神前へ納め、約半月後に粥に生えたカビの長さや色合いでその年の農作物が豊作か凶作かを占うというのが「飯盛神社のかゆ占い」だ。この神事は、県指定無形民俗文化財にもなっており、毎年早朝から一目見ようと多くの参詣者が訪れる。
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