遺跡

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  • 藤崎遺跡
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    福岡市早良区百道2丁目

    弥生〜古墳時代の墳墓を中心とした遺跡。明治45年、箱式石棺から三角縁盤龍鏡が出土して注目を浴び、のちに石棺墓の副葬品として弥生時代初期の土器群なども発見された。その後百基を越す甕棺墓地、古墳時代の方形周溝墓群などが出土。古墳時代初期における、早良平野の貴重な資料が見つかった場所である。
  • 宝満尾遺跡
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    福岡市博多区下月隈

    福岡空港東側の月隈丘陵に位置。弥生時代の墓地・貯蔵穴、古墳2基などからなる遺跡だ。弥生時代後期の土壙墓4基から中国製の明光鏡、ガラス小玉540個、素環頭刀子、鉄斧がそれぞれ出土し、現在は中学校校門横に説明板が建っている。近くには銅鐸の鋳型が出土した赤穂ノ浦遺跡があり、空港滑走路を挟んだ西側には弥生時...
  • 三宅廃寺跡
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    福岡市南区南大橋1-22-24

    奈良時代初めに建立された寺院跡。奈良時代前半の瓦、「寺」や「堂」と墨書した土器、正倉院宝物に類似する黄銅製の匙と箸などが出土した。若八幡宮(三宅小学校前)の手洗石は、塔の心礎を転用したものと考えられている。『日本書紀』よると、那津の口に官家を修造し、内外の非常に備えて穀物を蓄えさせたとあり、これ...
  • 免遺跡群
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    福岡市早良区賀茂1丁目

    原遺跡群の南約1km、賀茂神社の南側に広がる水利施設を中心とした遺跡。昭和48年小学校建設に伴い、発掘調査が行われ、弥生時代前期の溝、古墳時代の溝と堤防状遺構が確認され、多くの木製農具や建築部材が出土した。小学校の校門西側に説明板が建っている。平成4年の外環状道路の建設に伴う調査では、旧河川に築かれ...
  • 元岡瓜尾貝塚
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    福岡市西区元岡字池の浦

    県指定史跡。旧今津湾に面する丘陵斜面に形成された縄文時代後期の貝塚で、現在は溜池の土手面にわたって貝層が露出している。貝種は現在も今津湾に生息するものが多く、ウミハナ、ハイガイ、マガキなどがある。遺物には縄文後期の土器(北久根山式、西平式、三万田式)、石器(刃器、石鏃)、人骨、獣骨(鹿、イノシシ...
  • 吉武遺跡群
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    福岡市西区大字吉武194

    国指定史跡。吉武高木遺跡は、早良平野を貫流する室見川中流左岸扇状地(吉武遺跡群)に立地。弥生時代前期末〜中期初頭の金海式甕棺墓・木棺墓等11基からなる区画された墓地が検出され、銅剣・銅戈・銅矛の武器、多鈕細文鏡、玉類多数が出土した。このほか古墳、寺院、中世集落なども発見されている。
  • 大隈言道屋敷跡
  • 福岡市中央区今泉1-9

    今泉公園に隣接した処に、歌人大隈言道が天保7年(1836)39歳のときから住んでいた旧居「ささのや」があった。言道は二川相近(ふたがわすけちか)について和歌を、日田(大分県)の広瀬淡窓(ひろせたんそう)に漢学を学び、大阪に出て歌人らと交流するなど歌道に精進、明治元年71歳で亡くなった。墓は香正寺にある。
  • 大同庵跡
  • 福岡市博多区奈良屋町-4-25

    京都大徳寺(だいとくじ)の古渓(こけい)(宗陳)(そうちん)は天正(てんしょう)16年(1588)豊臣秀吉の怒りにふれて博多へ追われた。博多では古渓を慕う豪商の島井宗室(しまいそうしつ)・神屋宗湛(かみやそうたん)らが古渓のために、大同庵(だいどうあん)を建てて居住させた。古渓は茶会を催したりして時を過ごしたが、天正18年(15...
  • 燈籠堂
  • 福岡市東区馬出5-36-35

    天正15年(1587)千利休は、この燈籠堂前で、博多の豪商神屋宗湛(かみやそうたん)、島井宗室(しまいそうしつ)らと共に、九州平定のため箱崎に在陣中の豊臣秀吉を招き、たびたび茶会を催した。このゆかりの堂は、当時筥崎宮境内にあったが、明治維新での神仏分離により、恵光院(えこういん)に移されたものである。
  • 筑紫官家の跡
  • 福岡市南区三宅2-23

    6世紀はじめ、北部九州の豪族磐井(いわい)の反乱をおさえた大和朝廷が、筑紫近辺の支配を強化するために設けた、一種の役所である。現在の大橋付近にあたる。当時の遺跡、遺物はわからないが、内部統一や対外交渉に、大変重要な拠点であった。
  • 大平寺跡
  • 福岡市南区太平寺1-21

    筑前国続風土記によると「桧原(ひばる)村の内にて橿原(かしわばら)の境にある禅寺なりしとかや今に其跡残れり。広さ78反ばかりあり、本尊観音は朽ちはて、仏体とも見えざる村人草の庵をかまえて入れ置きけり、那珂郡屋形原(現福岡市)に居たる千葉探題(たんだい)帰依の寺なりし故むかしは大寺なりしとかや」と見え...
  • 主基斉田跡
  • 福岡市早良区脇山-1778

    昭和3年11月、京都御所で行われた昭和天皇の即位式で、主基殿に供えられた新米が脇山の石津新一郎が所有したこの斉田より献上された。全国から選ばれ、古式により田植えから収穫仕上げまで、村(当時の脇山村)を挙げての大行事であった。
    この斉田から白米3石(450キログラム)が献上された。
  • 曲渕水源地
  • 福岡市早良区曲渕

    大正5年の起工以来7カ年の歳月をかけて完成した福岡市で最初の上水道ダムである。堰堤(えんてい)の高さ45メートル、長さ161メートル、上部の幅4・0メートルの規模で、260万8千トンの貯水が可能な重力式ダムである。当初は12万人へ給水をしていたが、市勢の発展と共にダムも拡張工事が行われ、現在の大きさになった。
  • 今山石斧製造所跡
  • 福岡市西区横浜2-1586

    今山は弥生中期(50~100頃)の石斧製造所跡で、北九州市の高槻石斧製造所、飯塚市の立岩石包丁製造所と共に石器製造の遺跡として、その工程分布から当時の分業、交易等を知る上で考古学上注目されている。熊野神社の背後で玄武岩の露出している付近は石斧のかけらが出土していた。
  • 鉢伏山観音堂のいわれ
  • 福岡市西区今宿上ノ原

    筑前国続風土記によると神功皇后の恰土巡遊の聖跡をしのび、聖武天皇が恰土郡に七個寺の勅願寺を建立されたと伝られている。
    ここはその七個寺の一つ、鉢伏山金剛寺の跡である。金剛寺は近くの清流(七寺川)のほとりに七つの子院をもつ大寺で僧坊も多かったが、今は観音堂一宇のみがわずかに残る竹林やスダジイの老樹にまも...
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