YokaNavi 礼宾员(观光接待员)
太宰府あれこれ
太宰府天満宮神幸式大祭(どんかんまつり)
完戸 鷯 2008.09.12

榎社では9月1日に3本の注連縄が立って神輿をお迎えする準備が整います。

どんかん道を“お上り”になる神輿

太鼓橋を渡って本殿に還御される神輿。橋の下りには「お前お静かにお上げまして」の声がかかって、神輿は水平にお渡りになります。

竹の曲(たけのはやし)と稚児舞。還御後、本殿前で奉納されます。
太宰府天満宮の秋祭り。9月21日から9月25日まで。1月の鬼すべ、3月の曲水の宴とあわせて、三大祭りの一つです。福岡県無形民俗文化財に指定されています。
◇ ◇ ◇
9月21日午後3時、本殿での始祭で幕をあけます。
翌22日、遷御祭の後、午後8時にご神霊を奉安した神輿(みこし)が本殿を発ち、道真公が2年余りを過ごされた配所「榎社」まで、4kmほどの道を“お下り”になります。
榎社では、3本の注連縄(天満宮に対する“一の注連”、天拝山に対する“ニの注連”、榎社に対する“三の注連”)が立って、神輿をお迎えしています。
午後10時頃榎社に着いた神輿は、お旅所行宮(あんぐう)うしろの浄妙尼社の前に据えられて奉幣が行われます。浄妙尼社は何彼となく道真公のお世話をした「もろ尼御前(浄妙尼)」を祭るお社です。一年振りのお礼ご挨拶です。
その後、神輿は行宮に安置され、ご神霊は一晩をここでお過しになるのです。
翌23日には、午後2時に、行宮榎社で4人の童女が倭舞(やまとまい)を奉納します。そして神輿は午後3時に榎社を発ち、前日の道を“お上り”になるのです。天満宮参道に入りますと稚児行列も加わり、5時半頃、浮殿でお移りの儀、7時頃本殿に着いて還御祭が行われます。
翌24日午後7時に本殿で献饌祭。そして25日には午前11時に本殿で秋季例大祭。その夜、午後8時から太鼓橋、心字池で“千灯明”を献灯して、この大祭は終ります。
◇ ◇ ◇
この神幸式は、道真公が亡くなってから198年後の1101年(康和3年)に、大宰権帥(ごんのそつ、次官)の大江匡房卿(おおえのまさふさきょう)が始めました。その後、平安の頃の荘厳華麗な様式がそのまま受け継がれてきました。
いまも神輿のお供をする神職、奉仕の人々は、衣冠、直垂、大紋、狩衣、白丁と、平安王朝を偲ばせる姿で、行列を優雅に整えています。
また五行(ごぎょう)の鐘・太鼓が先頭に立ち、“ドン・・カン・・”と交互に音を響かせながら進みます。それで太宰府ではこのお祭りを「どんかんまつり」と云い、行列が通る道を「どんかん道」と云っています。
さらに神輿を担ぎ上げる時は、輿丁頭が“お前おあとお静かにおもりまして”、また道の中心を北に外れた時は“お南へお寄りまして”などと、平安時代を思わせる雅やかな掛け声をかけています。古い姿をそのままにとどめたお祭りです。
また鐘・太鼓の後に、狩衣、大口袴、侍烏帽子姿の稚児が“ささら”を打ち鳴らす「竹の曲(たけのはやし)」の道楽が続きます。さらに“お上り”の浮殿では「竹の曲」が、また還御後の本殿前では、「竹の曲」と「稚児舞」が奉納されます。
この「竹の曲」は、平安の頃、ある田楽一座が奉納したといわれる天満宮に伝わる古典芸能で、太宰府門前町六座が伝承しています。“絞め太鼓”“横笛”が楽を奏するなかに、稚児が“ささら”を鳴らして舞います。これも福岡県指定無形民俗文化財です。
◇ ◇ ◇
お彼岸中日の前夜が“お下り”、中日の午後が“お上り”です。天満宮境内、参道、どんかん道、榎社、どこででもご覧になれます。
太宰府の秋はこのお祭りで仲秋に入ります。
◇ ◇ ◇
9月21日午後3時、本殿での始祭で幕をあけます。
翌22日、遷御祭の後、午後8時にご神霊を奉安した神輿(みこし)が本殿を発ち、道真公が2年余りを過ごされた配所「榎社」まで、4kmほどの道を“お下り”になります。
榎社では、3本の注連縄(天満宮に対する“一の注連”、天拝山に対する“ニの注連”、榎社に対する“三の注連”)が立って、神輿をお迎えしています。
午後10時頃榎社に着いた神輿は、お旅所行宮(あんぐう)うしろの浄妙尼社の前に据えられて奉幣が行われます。浄妙尼社は何彼となく道真公のお世話をした「もろ尼御前(浄妙尼)」を祭るお社です。一年振りのお礼ご挨拶です。
その後、神輿は行宮に安置され、ご神霊は一晩をここでお過しになるのです。
翌23日には、午後2時に、行宮榎社で4人の童女が倭舞(やまとまい)を奉納します。そして神輿は午後3時に榎社を発ち、前日の道を“お上り”になるのです。天満宮参道に入りますと稚児行列も加わり、5時半頃、浮殿でお移りの儀、7時頃本殿に着いて還御祭が行われます。
翌24日午後7時に本殿で献饌祭。そして25日には午前11時に本殿で秋季例大祭。その夜、午後8時から太鼓橋、心字池で“千灯明”を献灯して、この大祭は終ります。
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この神幸式は、道真公が亡くなってから198年後の1101年(康和3年)に、大宰権帥(ごんのそつ、次官)の大江匡房卿(おおえのまさふさきょう)が始めました。その後、平安の頃の荘厳華麗な様式がそのまま受け継がれてきました。
いまも神輿のお供をする神職、奉仕の人々は、衣冠、直垂、大紋、狩衣、白丁と、平安王朝を偲ばせる姿で、行列を優雅に整えています。
また五行(ごぎょう)の鐘・太鼓が先頭に立ち、“ドン・・カン・・”と交互に音を響かせながら進みます。それで太宰府ではこのお祭りを「どんかんまつり」と云い、行列が通る道を「どんかん道」と云っています。
さらに神輿を担ぎ上げる時は、輿丁頭が“お前おあとお静かにおもりまして”、また道の中心を北に外れた時は“お南へお寄りまして”などと、平安時代を思わせる雅やかな掛け声をかけています。古い姿をそのままにとどめたお祭りです。
また鐘・太鼓の後に、狩衣、大口袴、侍烏帽子姿の稚児が“ささら”を打ち鳴らす「竹の曲(たけのはやし)」の道楽が続きます。さらに“お上り”の浮殿では「竹の曲」が、また還御後の本殿前では、「竹の曲」と「稚児舞」が奉納されます。
この「竹の曲」は、平安の頃、ある田楽一座が奉納したといわれる天満宮に伝わる古典芸能で、太宰府門前町六座が伝承しています。“絞め太鼓”“横笛”が楽を奏するなかに、稚児が“ささら”を鳴らして舞います。これも福岡県指定無形民俗文化財です。
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お彼岸中日の前夜が“お下り”、中日の午後が“お上り”です。天満宮境内、参道、どんかん道、榎社、どこででもご覧になれます。
太宰府の秋はこのお祭りで仲秋に入ります。

